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締切り済みの質問

後輩の指導について(大学院)

こんにちは。初めて投稿します。
大学院、博士課程の学生です。
今後私がどのように後輩を指導したらよいのか、分からなくなったのでご助言を頂きたく、本掲示板に投稿させて頂きました。
後半は愚痴のようになってしまい、言いたいことがまとまっていないと思うのですが、もしご興味があれば読んで下さいますと大変嬉しいです。宜しくお願い致します。

最近、後輩(修士課程の中国人留学生)の指導を任されるようになりました。
実は、大学には研究員のAさんがいます。
研究員のかたのほうが、当然実験装置などにも詳しいため、「Aさんにお伺いをしたら?」と何度もお伝えしたのですが、後輩は「Aさんは怖い」(研究に厳しい)と言って、自分から聞きに行こうとしませんでした。そのため、私が「大丈夫?一緒にする?」と声を掛け、私と一緒に研究をすることになりました。

正直に言えば、余分な仕事です。
お金が出るわけでもなく、論文に名前が載ったとしても、かなり微妙な内容なので、載せて欲しくないと思っています。
ですが、後輩が博士課程に進学したいとのことで、博士に入ってから後輩が自分でできるように、実験の方法等を指導していました。
後輩は実験の教示をするときも「はずかしいからできない」、被験者を集めるときも、何回もするように言ってもしないため、代わりに私が学内中にポスターを貼ったり、知り合いにメールを回したりしました。(実験のプログラムは、コピーをすればいいよ、といってもとのコマンドを渡してあげました。ちょっと置き換えるだけで良かったので、できたようです)実験のデザインも、先行研究と同じだったので、大丈夫だったようです。

このように指導をしていたのですが、他にもいろいろな仕事が重なってしまい、ある時、お恥ずかしいお話ですがうつ病のようになってしまい、学生相談センターの人に「休むように」と言われました。
そのため、指導教官に相談し、研究員のAさんに後輩の指導をお任せすることに致しました。

問題はこのあと起きました。これについては、昨日後輩の口から直接聞きました。
研究員のAさんが実験の統計をするための資料を送ってきてくださったのですが、とても後輩1人でできるような内容ではなさそうでした。
私が普段行っているやり方とも異なっていました。
そこで、自分なりに解釈をして、後輩にお伝えしました。
どうやらそのやり方が違ったらしかったのです。
研究員のAさんは「とてもひどいやり方だ」と仰ったらしく、後輩さんに改めて指導をしてくださいました。

研究員のAさんに確認をしてから後輩にお伝えすべきだった、あるいは、全て研究員のAさんにお任せをするべきだったのに、最低なことをしてしまいました。
間違ったやり方を教えたせいで、後輩と研究員のAさんに無駄なお時間を使わせてしまい、本当に申し訳ないことをしてしまいました。
また、こちらも昨日初めて聞いたのですが、実験のプログラムに必要な情報が記載されていなかったため、統計に余分な時間がかかってしまったということです。
(統計自体はできたとのことです。)

その後、後輩は私に対して信用をなくしたらしく、例えば、その後輩とわたしと、後輩Bで話していると、後輩Bとは話しますが、わたしには話しかけてきません。わたしと後輩Bが話している間は、スマホをいじっています。
また、陰で悪口を言っているのを聞いていました。他の後輩にも、「あの人には聞かないほうがいいよ」と言っているのを聞きました。

今回の件は、勿論私に全責任があります。後輩に愛想をつかれても仕方が無いと思いますし、指導教官には、うつ病のようになった時に、他の後輩の面倒はもう見れない、と伝えてあります。

ですが、また助教授の先生に「チューター」を頼まれてしまいました。簡単に言えば、留学生の研究等の指導をする仕事です。
今回の件で、私は後輩の指導をする能力まで達していないことが分かりました。
全く自信がありません。

また、後輩が「自分でできるように」と思い、「やってみたら」と声を掛けていたのですが、「できない」「(被験者を集めるときに)はずかしい」などと言われるたびに、修士論文の提出まで時間が無いので、仕方なくわたしがやってしまいました。
それは後輩の論文といえるのでしょうか。後輩の学習の機会を奪ってしまったのではないか、突き放したほうが良かったのではないか、でも、突き放していたらきっとできなかっただろうし...と、指導の方法に悩んでしまいました。
また、後輩に聞いたところ、研究員Aさんが「外国人」を被験者とした実験を行いたいらしく、後輩に「実験プログラムや統計も全て行うので、被験者だけ集めてくれたら、あとは後輩の名前で論文を出版してもいいよ、そして博士論文の一部にしていいよ」と仰ったそうです。
後輩は勿論「はい」と言ったのですが、それは後輩の研究なのかどうか、そこまでお手伝いをしてあげないといけないのだろうか、と、悩んでしまいました。

結局のところ...
(1)わたしは指導をしてもいいのでしょうか
(2)どうしたら後輩は「自分で考えてやってくれる」のでしょうか(後輩の性格もあると思うのですが)
(3)後輩を見るたびに、先輩に教えてもらっている姿を見て、「それはあなたの力でやったものではない」といらいらしてしまう自分がいます。どうすれば気持ちを落ち着けることができるのでしょう。
(4)後輩は私に対して信用をなくてしてしまっているようです。後輩と接しなければどうということはないのですが、後輩はいつも研究室にいるため、緊張からか、研究室に全く行くことができなくなってしまいました。また、顔を合わせると緊張してしまうため、学校にもあまりいけなくなってしまいました。どうやったら後輩とちゃんと顔を合わせることができるようになるのでしょうか。

実は、私は関連領域で修士号を取ったため、博士からこの領域に入りました。修士を取った大学の指導教官が研究所に移ることになったため、その指導教官の勧めで、今の大学にはいりました。そのため、この領域に関して知識に穴が沢山あります。
また、修士課程では先輩に恵まれず、実験装置の使い方や統計のかけかたを教えてもらうことができませんでした。先生も自分では実験ができないため、自分で英語の説明書を読みながら格闘し、本を読み、統計ソフトのRや、実験プログラムなども自分で練習し・・・。全て我流で行ってきました。正式なトレーニングを受けた学生さんに比べると、とてもできの悪い学生です。人より回り道をしている自覚もあります。
以上のようなことから、自分はできが良い学生ではありません。

それに、後輩が私のことを「おばさん」と呼んでいるのも知っています。学部、そして修士の時にそれぞれ1回ずつ留学をしたため、他の人より2年遅れているのです。

もう全てに自信が無く、「大学を辞めよう」と一時期は考えていたため、研究室には行っていません。学校でわたしの悪口(仕事ができない)が広がっていることも知っています。自分はその後輩(留学生)の国に留学をしていたため、留学生の国の言葉で言われた悪口等が分かってしまうのです。
このまえTAの仕事があったので大学に行ったとき、廊下で偶然後輩に会いました。
「わたしは授業をとっていて忙しいですが、先輩は暇ですか?」というようなことを言われました。(実際に言われた言葉は全然違うのですが、疲れているせいか、このように聞こえてしまいました。)
休学はしていないのですが、大学に来ようとすると起きたときにめまいがしたり、はいてしまうため、授業は取りませんでした。補足すると、博士はもともと授業は取らなくても良く、論文を出版したかどうかなどが卒業要件です。
また、この大学に入学をしてから、わたしは指導教官のフィールドワークのお手伝いのため、半年に1回海外に現地調査に行きました。ですが、後輩に「遊んでいると思っていました」と発言され、悲しい気持ちになったこともあります。

学問は裏切らないと思っていました。ですが、がんばっても、無理なことはあるのでしょうか。無理だ、手が届かないと感じた場合には、どうすればいいのでしょうか。今までのがんばりはなんだったのでしょうか。

長文大変失礼致しました。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

なんだかもう疲れてしまいました。
皆様からもしご助言、アドバイス等頂けますと大変嬉しいです。
厳しい言葉も大丈夫です。今回の件は全て私の責任ですし、受け止めないといけないと考えています。
緊張して、なかなか文面が思い浮かばないのですが、今日中に先輩や後輩などにお詫びのメールを書こうと思っています。

最近パソコンを開けると「仕事ができない自分」を感じてしまい、なかなか開けられないです。
お返事が遅くなるかもしれないのですが、どうぞ宜しくお願い致します。

投稿日時 - 2016-10-17 20:20:08

QNo.9244051

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回答(7)

ANo.7

そうですね,教員の立場から言えば,
まずメンタルを立て直しましょう。被害妄想ではないとおもいますが普通の精神状態では大した事で無くても今は酷くののしられたような感覚になるでしょうし,人の行動に対してもイライラするのもそのときは重く考えていなかったと思いますが,研究をする精神状態ではありません。
また指導するというのは,本当にむずかしくてドクターの学生にはお手伝いはお願いしても,方法論や研究の進め方はスタッフがするべきて,正直研究員でも力不足です。

なので間違っていようが気にしない,むろんはずかしいのは,はずかしいですが,
申し訳ないとか,絶望的なことではなくて,単にあっちゃー程度のことですよ。

あなたに一言だけいいたいのは,これから博士をとるまでは掛ける恥,できる失敗は全部するぐらいの鉄のメンタルをもってください。

そのなかで実力を付けていけばいいのです。
あくまでも個人の成長だけを目標にしてください。他人と比べる必要はありません。
よって学生を教えるのも,自分が教えることで学ぶために教えるのであって,姿勢がおかしいとか彼の為にならないなどはどうでもいいことです。
今回あなたは指導して間違っていると指摘してもらって特をしたのですよ。
これでできていると思ったのに,もっと良い方法があったり,別の方法を知ることができたのですから。
まだまだ始めたばかり。その後輩よりも自分は実力がしたのぶぶんはあるんだぐらい,
言い方がスポ根ですが,泥水をすするぐらいの気持ちをもって挑めば,あとは上がる一方です。いまメンタルはどん底にいると思いますが,これから上に行くしか無いとおもって一から元気になったら始めればいいですよ。研究の良いところは確かに時限はありますが,積み重ねれば,いつ,どんなときにやってもはじめても,自分の為になっていくということです。
今踏み出した一歩,あしたはむりでも一ヶ月後に踏み出した一歩はかならず二歩目になりますから。安心してやすみ。元気になって帰ってきたら良いですよ。

投稿日時 - 2016-10-28 03:30:21

ANo.6

あはは。不思議な回答ですか。

大学院時代にいろいろなものを身につけなければいけないのは,ぼくも知っていますが,個人の能力によるところが大きいです。質問者さんの場合,どのていどの大学院か(将来にリーダーになる人材を養成する大学院か)知りませんが,質問文では自分の研究に支障をきたし精神的にもおかしくなっている。まあ,ぼくも「最近の院生はなさけねえなあ」とは感じますが,現実問題としては「丸投げ構造」の末端で潰れかけている。こうなれば「自分」をとるしかないでしょう。

投稿日時 - 2016-10-18 13:11:06

ANo.5

どうも不思議な回答が目立つので回答します。
私の場合修士を取らないで博士に進んでいるので(学部卒で修士扱いなので)必ずしも一致しないかもしれませんが、博士の仕事について少し列挙していきたいと思います。かなりきつい言葉を書きますのでご注意を

まず第一に博士課程の仕事は多岐にわたります
(1)研究、論文執筆
(2)社会貢献
(3)教育
の3つが大きな分類になると思います。他の方が文科省高等教育局に言及していますので、少し詳しめに言及しますが文科省では博士課程教育リーディングプログラムという試みの中で博士課程に以下のことを要求しています
・リーダーとしての能力を身に付ける
・グローバリズムに対応できる
・世界的にも優秀な研究実績を残すことができる
従ってほぼ全ての大学院教育では、博士課程の下には学部生や修士が付きます。これはリーダーとしての能力を養わせ、研究推進能力を向上させるためです。また、留学生の対応や国際学会への積極的な参加によってグローバルな視点や対応能力を養わせ、英著論文の作成で研究実績を残させます。

はっきり申し上げると、あなたの場合いずれも出来ていないように思います。
>正直に言えば、余分な仕事です。
お金が出るわけでもなく、論文に名前が載ったとしても、かなり微妙な内容なので、載せて欲しくないと思っています。<
もしTA,RA費用を貰っていないなら辛うじて文句を言っても良いでしょう。しかし、余分な仕事というのは全くの間違いです。教育実績を持つというのは非常に重要かつ実利になることであり、それを軽んじることがどれだけ阿呆なことか見誤っていることに非常に残念な気持ちを抱きます。
まず、教育が重要な理由は『指導できない研究者は適切な研究ができていない』という事実に基づきます。小保方問題でもありましたが、自分の研究を他人にやらせて同じ傾向の結果が得られないならそれは研究ではなくて捏造なのです。
次に他人に教えることは、自分の研究を再構築することに役立ちます。特に最適化するという意味では指導ほど有用な手段はありません。くわえて、指導される側は自分と全く同じことをやるわけではないので自分の勉強にもなります
現場に立たなくなった研究者(教授職クラス)を見ているとわかると思いますが、大別すると
(1)研究について理解できなくなり、組織保全や政治活動ばかりになる
(2)研究についての理解はあり、部下に適切な助言ができる
という2種類のタイプなると思います。(1)は指導をきちんとしないから自分の研究室の研究について理解ができなくなり、わけのわからない妄言しか言わなくなるのです。(2)の最たる例は山中教授らです。現場での研究能力は部下の方が出来るでしょうが、researcherとしての能力は極めて高いと言わざるを得ない。2度ほどお会いしましたが、恐ろしく腰が低く知識に貪欲でいらっしゃいました。なるほど研究者たるはかくあるべきと改めて思える方です。

つまり、あなたが余計な仕事だといったことは非常に重要なことだということです。
次に

>また、後輩が「自分でできるように」と思い、「やってみたら」と声を掛けていたのですが、「できない」「(被験者を集めるときに)はずかしい」などと言われるたびに、修士論文の提出まで時間が無いので、仕方なくわたしがやってしまいました。
それは後輩の論文といえるのでしょうか。後輩の学習の機会を奪ってしまったのではないか、突き放したほうが良かったのではないか、でも、突き放していたらきっとできなかっただろうし...と、指導の方法に悩んでしまいました。<

これは指導ではなく、「優しい虐待」です。指導とは、何をすべきかを見せ、自分の隣で実際にやってもらい、細かい実技について(例えば私は消化器の専門で、実験などでは目的の組織を露出させるための手技1つとっても如何に細やかに脂肪組織を削ぎつつスピードを求めるかが重要になります。このバランスは一朝一夕では身に付かないので、数をこなさせつつ習得まで隣に付き添い圧力をかけながら要所で助言をすることが大切だと)教えること。その上で実験ができるようになったら結果についてディスカッションし、多角的な視線や最終的な着地点の見据え方、コアとなる結果へ向かう手法をどうすべきかについて考えさせ、その結果を得られたら論文執筆指導に入るべきなのです。
やや脱線しますが、技術を教えるまでが指導ではなく彼が次に指導するときに適切に指導できるかどうかまで指導するのが教育です。

また、最大の疑問は
>私が普段行っているやり方とも異なっていました。
そこで、自分なりに解釈をして、後輩にお伝えしました。<
なぜ貴方は自分の勝手な解釈を伝えたのですか?
研究というものに対して危機感が足りないと思います。もし、これが手術に関する手技だったら同じことを言えましたか?間違えていれば確実に患者が死にます。私は未だに自分のデスクに基本病理学や各種手技のテキストは置いてありますし、各種ガイドラインも手に届く範囲に置きます。絶対に間違えることがあってはならないからです
自分がわからないなら解釈ではなくて、周辺論文を二人で読んで確実なことが言えるまで学べば良かった話ではありませんか。貴方がやった行為は傲慢であり、自分の力を過信しているとしか言いようがありません。

>学問は裏切らないと思っていました。ですが、がんばっても、無理なことはあるのでしょうか。無理だ、手が届かないと感じた場合には、どうすればいいのでしょうか。今までのがんばりはなんだったのでしょうか。<
裏切っているのは貴方です。学問は絶対に裏切りません。なぜなら、学問とは意思はなく単純に適切な努力に適切な結果を与えてくれます。結果が出ないならやり方や考え方が悪いだけなのです。
貴方は学問を軽んじ、教育を軽んじています。知らないことを調べもせず解釈する人間に学問が微笑むことはありませんし、自らの知識や技術をアウトプットして磨かない人間に学問は結果を与えません。

そのことをしっかり理解することをおすすめします。

投稿日時 - 2016-10-18 12:14:43

ANo.4

その3.「愚痴のようになってしまい、言いたいことがまとまっていない」ことは,大学に何十年も「とぐろ」を巻いているといくらでも出てくるよ 笑。

前の2つは「個人」の問題として書きましたので,以下は「構造」の問題として書きましょう。

まず日本政府ないし文科省が国策として,「留学生増加」をうたっていることが背景にあるのですね。外国からどんどん勉強にくるようでないと,国際的に地位が向上しないと。留学生から金をとって儲けようという魂胆ではないと思います。大学も「世界と通じる大学」をうたいたいので,あちこちと協定を結ぶ。

そりゃ学長は,相手の学長と笑顔で握手している画像を公式サイトに掲載して得意だろうさ。大学案内でも「留学生や留学先がこんなにある国際性豊かな大学」と書いて学生を集めたいだろうさ。個人的にも,まるで「呼び屋」のように活躍して得意になる教員や理事もいるだろうさ。

しかし,末端で指導するのはぼくらなんですね。留学生から「ぜひ先生の学識をお譲り受けたい」なんておべんちゃらのひとつも言われればいいけれども,「修士号がとれるなら分野はなんでもいいんです(=先生の学問はいいかげんだから,すぐもらえるんでしょ?)」。国際問題になるのを覚悟でぶんなぐるぞ 笑。指導教員の立場いがいにも,学科長としてぼくは成田空港まで迎えにいったり,奨学金やアパート契約の連帯保証人になったりもしました。そんな末端労働の結果としての国際化なんだよ。ぼくらの師匠世代は外国で学位をもらった(そして帰国すれば椅子が待っていた)人もいるだろうが,ぼくらは純国産だから外国に借りはないんだ。聞いてるかい,文科省高等教育局の諸君。

でもまあ,毎月の給料のおおもとは国税であり,ぼくは大学職員(おまけに不平もいえない管理職)だから,じっと我慢すべきだと理解している。しかしあなたは「ぺえぺえ」の大学院生でしょ。そんな義理も責任もくそない。くりかえしますが,放り出しちゃえ。

投稿日時 - 2016-10-18 10:56:57

ANo.3

また思い出したこと(だんだん腹が立ってきた 笑)。

このときはぼくは教員になっていましたが,同僚が訪れた外国から留学生を連れてきました。事情は忘れましたが,こんども丸投げ。ぼくは指導教員でもないのに研究指導をし,投稿原稿を何回も真っ赤にリライトし,博士論文もつきっきり。留学生は学会奨励賞をもらいましたが,当然だろ。ぼくが書いたようなものだから 笑。

博士論文の審査会では,同僚はちゃっかり顔をだし指導教員づら。留学生が帰国してしかるべき地位についたら,同僚はその国にいって便宜をはかってもらったらしい。ぼくの上前をはねる厚顔無恥なやつがいる,魑魅魍魎の世界なのですね。放り出さないと,身を食われますよ。

投稿日時 - 2016-10-18 08:15:11

ANo.2

ぼくが大学院生のときだから,もう何十年も前の話。中国人の研究生(だいぶ年上)がぼくの指導教員のところに来たのですが,その面倒を丸投げされて困りましたね。ぼくが分野的に近く,かつ第三外国語で中国語を勉強していたからでしょう。まだ珍しかった「チューター」なる職種があることを初めて知り,いくばくか大学からお金をもらいました。

指導教員が中国にいったとき,あちらの大学で「熱烈歓迎」されいろいろ便宜をはかったもらったらしいのですが,研究生の第一のいいぶんは「私にもおなじ待遇をすべきだ」。ぼくは研究生と指導教員のあいだに入って交渉せざるをえませんでしたが,指導教員は「無理だ」の一点張り(日本の制度では仕方ない)。また,文革時代の中国人は,あまり勉強していないのですね。ロシア語はできるらしいが英語がさっぱり。厚顔無恥で傲慢なぼくでも,神経が参りました。もちろん自分の時間も食われた。

読むところ心理学系か医学系のようですが,指導教員がわるいよ。少し気が楽になりましたか? ぼくでさえもできなかった無責任な回答だけれども,「放り出しちゃえ」。

投稿日時 - 2016-10-18 07:56:29

ANo.1

 僕は日本の院に行ったことがないので、見当はずれかもしれませんが、大学院は、研究の場で、後輩を教える場所ではないと思います。

 ですから、外国人後輩の指導という仕事は院生の本来の仕事ではなく、教授たちの仕事です。しかしご在籍の院の慣習がそうなら、院とは名ばかりで居る意味がないと思います。

投稿日時 - 2016-10-18 01:27:09

お礼

だらだらと、そして長々とまとまりのない文章にも関わらず、読んでくださり本当にありがとうございます。同じ研究室の方にお伺いをするわけにはいかず、投稿をさせていただいた次第です。
確かに、指導とは本来先生方の仕事だとは思うのですが、先生方もとてもお忙しく、私の在籍する大学院では、博士の学生や研究員などが修士や学部生の卒業論文の指導をするような慣習があるようです。以前修士号をとった大学でも、指導教官によっては、そのような風習があったように思います。
どうすれば良いのかもう少し考えてみようと思います。
ご助言ありがとうございました。

投稿日時 - 2016-10-18 02:07:03