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締切り済みの質問

大学院での研究で悔いを残して辛いです

京大の大学院生です。修士論文の発表を来週に控えております。
要旨も出して、担当教官の修論校正も終わり、スライドもほぼ完成状態であとは発表と質疑応答を残すのみです。それが終われば卒業はできると言われております。

ただ、3年間の研究にものすごく後悔を抱いております。
というのも最後までいい結果が出ませんでした。最終的な結論も結局?となり、やり残したことが多かったのです。そして、後悔の部分で一番大きいのは院生なのに一度も学会に出してもらえなかったことです。この部分の欲しいデータないからと先生に断られ、とても悔しい思いがしました。後悔しか残りません。院生であれば日本~学会に出て発表が当たり前だと思っていたばかりに自分の無能さを感じずにはいられなくなり、顔から火が出るほど恥ずかしく生きていくのが嫌になりました。正直こんなうまくいかないものなのかと絶望し、11月はピペットすら握れず12月から1月半ばまでは学校にも行けなくなりました。

ネットでは研究室の方針によりけりと書いてあるのですが、学会で最優秀賞を受賞した先輩もいます。また、2つ上の先輩は全員が出ており、同期も半分は出ている環境です。以前学会に出る自慢が腹立たしくて同期と喧嘩となり、関係が悪くなったせいか口をきかなくなりました。反省はしておりますがそれが原因である以上しょうがないことだと考え、いまだに修復したいとは思っておりません。

私が行なった実験の系は動物を長期飼育してあるサンプル投与し病気を治す効果がみられるかどうかです。興味はもともとあり文献を読んで知識を吸収するのは好きでした。ですが、研究自体はつまらなく苦痛なものでした。例えるなら、的あてゲームでどうやったら的に当たるかを考えてるような感覚です。研究というか当てものですね。結果ばかりにこだわり過ぎて探究心や面白さを失ってしまいました。また、長期飼育するため一回のスパンが3ヶ月と長く一度失敗したら取り返しがつかず時間が他の研究よりも時間がかかってしまうものでした。就職活動もあり半年間は実験できませんでした。決してサボりまくっていたわけではなく、朝から晩まで頑張ってやってきました。ただ、十分な予算もなく、自分で考えることが方針の研究室でしたので、指導教官になかなか相談もできませんでした。

3回の学生実験で周りと比べて実験の手際が悪く班員に迷惑をかけてしまったことから院に進むのは無理だと思っていたのですが、4回のころに研究が少し面白いかもと思って院進学を決めました。
来年からは地方公務員として働く予定なのですが、技術職なので研究の部署の可能性もあります。そこに配属されたらまた研究をやることになると思うのですがまた結果が出なかったらどうしようかと思って鬱状態です。できれば研究とは決別したいです。

また、現在同じ学科に付き合っている人がいるのですが、その人は博士に進んで研究を続ける予定です。もし将来結婚して一緒に過ごすことになったら研究うまくいって学会で~へ行く姿とかを見て、大学院時代の悪夢をまた思い出して劣等感を感じざるを得ません。嫉妬心別れるかもしれなく怖いです。

実家に帰ってきて親が新聞の切り抜きを持ってきて、この○○という人、学会で表彰されて新聞に載ってたけど知ってる人?と言われ、せっかく研究のことを忘れようとしてるのにものすごく気分が悪いです。
院まで行ったのに学会に出れなかったということを親に話すのは恥ずかしすぎてできません。ほらな、お前には研究は無理やろと言われる始末ですから。

小さいころからスポーツで活躍して、レギュラーも落ちたこともありませんでしたし、学業の成績も上位でした。人より時間のかかる不器用な人間であることは自覚しているものの、研究でこんな挫折を味わったのは生まれて初めてです。

こんな自分に大学院での研究の悪夢を忘れさせ、この挫折をばねにして今後の人生にうまく生かす方法を教えて下さい。

投稿日時 - 2017-02-07 14:05:32

QNo.9290964

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回答(12)

ANo.12

追加で。

院、しかもたかが修士を出ただけの負け組が私なんだけど、研究職に就けば博士の下っ端、一般職に就けば、他社に劣ればその学歴でそんなもん、と言われます。
覚悟してね。
院卒や東大京大卒が役に立つのは就活だけ。その後はプレッシャーにかわります。成果を出せなければあなたの院生活よりも長く過酷な状況が続きます。

多くの回答の中で反応できたのがそれだけというのがあなたのいまの状況、本質、性根だというのが見えた気がします。
ガンバってね、というのですむ状況じゃないかもね。大丈夫かなぁ。

投稿日時 - 2017-02-09 21:03:43

ANo.11

質問文を読んで、バネにするなら忘れちゃマズイだろうよと心で突っ込み、その変な全能感?というか認知のおかしさを思うと、こういう人には何を言っても無駄だろうなとスルーしていました。

なので、回答No6の方のように、わざわざ時間を割いて本当のことを言ってくれる人は貴重ですよ。実生活で教えてくれる人がいないのは不幸なことですが、それは周囲の人が私のように、あなたには言っても無駄と判断しているのかもしれません。

あなたのお礼コメントの酷さは、私の見立ての正しさを証明したのですが、その無礼さは異常だと思います。社会性に大問題がある。コメントを読んだまともな人は人全員どん引きでしょうね。

今後の人生を順調に生きたければ、その社会性を何とかしないとマズいと思います。
まずは自分の能力の程度を正しく認識して、上には上が山ほどいることを素直に受け入れないことには始まらないと思いますよ。

投稿日時 - 2017-02-09 19:32:18

ANo.10

京大理系で院卒というのは、世間一般の価値基準からすれば相当に誇れる学歴です。大学院の研究ではうまく結果が出せなかったのかもしれませんが、学歴を誇りに、これからの仕事で実績をつくっていけばいいんじゃないでしょうか?
また、恥ずかしいと思うことも、人前で口に出してみると案外楽になると思います。
私はいろいろ失敗したショックなことをできるだけ早いうちに友人などに話すようにします。
あなたはプライドが高いと言うか、競争心が強いのだと思います。それは決して悪いことではありませんが、それゆえに他人の前で挫折感を隠そうとしたり、ズルズルと引きずってしまえば鬱々とした気分が増幅してしまうので、挫折したことも恥ずかしがらずに人に話すように心がけると、かえって解放されていくとも思います。




なお、ひとつだけ、アブダクション、ないしはリトロダクション的な考え方が研究の進行において足りなかったか、あるいは苦手であったのではないでしょうか?
それらは仮説形成や仮説的推論と言われる考え方です。もちろんあなたは博学だと思うので、あえて私から説明するようなことではないかもしれませんが、ざっくりと乱暴に言えば「ひらめき」とか「思いつき」とか「発想力」みたいなものです。

アブダクション的な資質は、児童教育においては特に図画工作などが得意な子供によく見受けられます。白い紙とクレヨンを渡した瞬間からすぐに自由気ままに絵を描いたり工作ができるなど、発想力が豊かな子供のうちは大なり小なり誰もが持ちえているものなのですが、成長とともに経験や語彙が増えると、演繹なり帰納的な思考で代用できるので、次第に活用しなくなっていきます。

私はあなたほどではありませんが、子供の頃から運動神経もよい方で、スポーツもたいていのものがそこそこできました。ただ、子供の頃からずっと羨ましい...というか劣等感を覚えていたのは、たとえば鬼ごっこなどのルールを勝手に改変するようなアイデアをひらめく子や、自分で遊びのルールを生み出せる子たちの存在でした。
私は理系の研究の進行方法は専門外なのでよく知りませんが、概して研究の難しいところは、子供が遊びのルールを生み出すことと同じように、「もしかしたら~~~になるかもしれない」という仮説を立てるところではないでしょうか。
子供の遊びも、たいていは「〇〇したら~~~になってもっと面白いのではないか」といった仮説的推論であり、実際に考案したルールで子供同士遊ぶことで、その推論通りに面白い遊びになったかの検証が、子供達の中では無意識に行われています。

ともすれば、教授が「ひらめいた」仮説を検証することが大学院でのあなたの研究の主軸になってしまっていたとか、また、先行研究を追随するような手法だったなど、何かしらあなたの中で思い当たる点があれば、もしかしたらあなた自身の「ひらめき」を活かしきれていなかったのかもしれません。それは、あなたのせいではなくその教授の指導方法や研究室の環境があまりよくなかっただけなのかもしれません。
しかし、仮説が検証によって想定とは異なり望んだ結果にはならなかったとしても、それもそれでひとつの結果であることには変わりはありません。研究は常に結果が異なるかもしれないというリスクを孕んでいるので、最低限そのリスクに耐えうるメンタルは必要でしょう。
ただ、修士課程という期間だけでは、あなたの行っていたことは十分な結果を出せないものであったのかもしれませんから、あなたの後輩があなたの行っていたことを引き継いでくれることに期待してもいいと思います。


さて、スポーツでの活躍や学業成績が上位であったことはとても素晴らしいことですが、それらは既知の価値基準やルールに則っての成果や結果であったわけで、他者による評価に依存した競争での勝者であったのです。
しかし研究は、同じ競争でもイノベーションを競い合うことです。自身が新たに価値や理論を作り出そうという気概がなければやり遂げられないものです。
今後の人生に向けて、もしもあなた自身が価値を生み出していこうという決心があるのでしたら、この挫折も、あなたが持つ競争心を心強い味方に変えてくれると思います。

投稿日時 - 2017-02-09 03:48:20

ANo.9

nooxide334 さん、こんばんは。

私はあなたがまだ甘えているんじゃないかと思います。正直なところ、京大という旧帝国大学の修士課程を終えようとしてるあなたの実験テーマの難しさやその苦労は私のような素人にはわかりません。学会へ行ってみたいというのは研究者としては当然かもしれませんが、多くの研究者の人が学会へ行けないんだから、別にどうとも考えなくてもいいんじゃないかとも思うのです。肝心なのは彼女は博士課程、あなたは修士課程でリタイア、研究職公務員ですか?じゃ、将来は彼女の方が出世するかもしれない可能性があるとしたら、そして、彼女を見ているだけで、あなたは投稿していられる後悔を忘れることなんかできないでしょう。それからご自身がうつ状態になっていらっしゃるため研究職公務員の仕事も軽く放棄したいと考えていられる。ということは彼女との恋愛から結婚までの生活も捨てたいという考えなのでしょうか?
もうすぐ卒業が決まっているあなたが、今頃になって、そんなことでは社会人としておぼつかない人間になってしまう可能性があるのではないかと心配してしまいます。

投稿日時 - 2017-02-08 20:19:10

ANo.8

経験したことを忘れたいと思うようではいけません。

大学院がどうだというよりあなたの研究態度に問題があると思います。
これからの人生でもありうることなのでいわせてください。

なんのために研究をしたのですか。

まさか学会に出るためじゃないでしょう。
学会というのは報告会発表会ですから、成果があってはじめて上がれる舞台です。
まず研究が先です。

生物学とか化学の場合、さいころゲームみたいなことをして何も考えないで実験や観察をしているひとが割合います。
何かができたらとか発見したらラッキーという感覚です。
おそらくあなたはその一角に居たと思われます。
何を考えて何のためにやっていたのですか。

私も大学院で研究をして学位記を持っているものですけど、シミュレーション計算みたいなことで時間が相当とられて疲労はなはだしいなか、論文もかけ、学会にもいきました。
だけど、学会に行ったというのは、カーニバルに参加して踊ったという程度のことで、それまでの研究とか苦労にくらべたら単なる打ち上げパーティにしか感じなかった。

あえてビジネス用語を出しますが、PVCSという言葉はご存じでしょうね。
いちいち説明しませんよ。もし知らないならネット検索してしらべてください。

自分の研究が当てものだとおもう前に、PVCSで管理していましたか。
何を目的に今の実験をはじめようと思い、どういう具合に進行させ、結果はどうだったか、どうすればよかったか、そういう記録はどこかに書いてありますか。

その記録があれば、研究はスパイラル式に展開し、飽きている暇なんてないはずです。

そしてどんな行動にも意味があり、無駄に人生をおくっていたわけでないというのが実感できたはずです。

その結果何かが得られ、仮に学会で発表できなくてもそれはあなたの木になった果実ですから大事なものです。
仮に大失敗をしたとしてもその経験はかえがたい価値のあるもので、人に教えてやれるネタがえられたんです。

その満足感があなたの文章からかけらもみえません。

その態度は問題だと思いませんか。

もし共同研究者がいたとき、その人にとってあなたが人生2度と得られない最高のパートナーに見えると思いますか。

どうも文章だと、人にほめられたい、人に畏敬させたいというような野心しか感じられません。
こどものころ成績がよかったかどうかを自慢するひとは、今自慢できるものがないからです。
ちいさいころのレギュラーなんて何の意味があるのでしょうか。
生まれ変わりましょうよ。

私は大学院修了者をあいてに講習することがありますが、そういう構成だなとおもったら必ず質問することがある。
はい、手をあげて言ってくださいという。
「学会なんかでなにを言われたら一番いやですか」
これにたいしかなりの人が私の期待しているこたえを言ってくれます。
わかりますか。

「その研究は何の役にたつのですか」です。

これに答えられる準備がある人は今後の発展は保証されています。
理解しない人間にその人のわかることばで説明し説得できるということですから。
これが研究職の本当の実力です。

めんどくさいことをエラソーにわめきちらしてヒンシュクをかう類の学者は結構います。それになったらおしまいです。

学会なんて所詮おまつりです。そんなものはどうでもいい。

学会誌に論文を載せるのはそれとは別にこつこつやっていれば実現します。


その分野を知らない人間にその人がわかることばで説明し感動させながら理解してもらうことが実力です。
なにかにつけて、あああの人に訊いてみよう、相談しようと思われることが一番重要なんです。

自分の在籍している大学名を平気で書くというのは、それで人がおそれいるかという気持があるんでしょう。その神経に問題があります。

あなたの価値ではなく看板でぶちかまそうというのは情けない。

そしてこんな内容のことを実名の大学名をつけて書かれたら同輩に迷惑がかかるという発想がない。

まああんまり小言をいってもなんだけど、ひとがひとを認めるというのは大学でもなければやってきたことでもありませんよ。

そのひとの、人生にたいする向き合い方じゃないですか。

投稿日時 - 2017-02-07 21:59:01

ANo.7

>こんな自分に大学院での研究の悪夢を忘れさせ、この挫折をばねにして今後の人生にうまく生かす方法を教えて下さい。

挫折をバネにして生かしている人は、失敗や挫折の悪夢を決して忘れてはいません。むしろそれを教訓として自分の胸に刻み込んでいるから、バネにして生かしているのです。忘れたらそこからは何も教訓を得ていないので、何も残らないのですよ。

貴殿がその挫折を「乗り越えたな」と思うときというのは、それを思い出したときに「なんであんなどうでもいいことで人生の重大事だと思うほどに挫折感を感じたんだろうなあ」って思えたときです。

投稿日時 - 2017-02-07 19:30:06

ANo.6

かなりきついことを書きます。質問者さんと同様に、動物実験を学部から続けていた人間です。

まず
>こんな自分に大学院での研究の悪夢を忘れさせ、この挫折をばねにして今後の人生にうまく生かす方法を教えて下さい。<
とありますが、撤回することをお勧めします。大した結果も出ない実験に命を散らした動物に対するこの上ない侮辱だからです。倫理観の低さは研究結果の低さにつながることを肝に銘じてください。

次に
>後悔の部分で一番大きいのは院生なのに一度も学会に出してもらえなかったことです<
考えが甘いし、認識も甘いです。学部から学会に出るのが普通くらいの考えでなければ、院への進学は諦めるべきだったと思いますよ。私を例にするなら
学部:日本○○学会 2種3回
博士:日本○○学会 4種16回 支部例会 1種2回(うち一回受賞) 国際○○学会 2種2回
です。ちなみに、私の研究室で言うと私は中堅程度の実力です(地帝)
要は、上記は普通なんです。私たちは修士がないのであれですが、修士(学部5,6年)で1回も学会に出られないというのは余程甘えた実験しかしなかったんだろうと考えます。
事実
>また、長期飼育するため一回のスパンが3ヶ月と長く一度失敗したら取り返しがつかず時間が他の研究よりも時間がかかってしまうものでした<
なぜ週おきに動物飼育を開始しないのですか?そうすれば、1度の失敗は1週間で取り戻せますよね。予算にしても、討論すればその程度出すでしょう。実験を討論する上で重要なのは

・実験結果の設定(3方向:予想通り、予想に反する、想定外)と、それぞれにおける次回実験の計画と原因の究明方法を決定する
・それに必要な費用、時間の算出
・上記による結果が、最終的な研究着地点にどのような影響を与えるのか

をしっかりと固めた上で指導教官に提示することです。これを怠っていたように感じます
そして、これを怠っていたなら【一生懸命】とは言いません。ただ、【やっただけ】です。試験に落ちる子達が『一生懸命勉強したのに!』と泣くのと同じです。方向が間違えた努力や労力は徒労しか産みません。これは
>的あてゲームでどうやったら的に当たるかを考えてるような感覚です<
からわかりますね。そう感じていたなら、なぜ実験手法や理論構築に疑義を生じさせなかったのか。既にそこから間違えています

>十分な予算もなく<
は貴方に与えられた予算、信頼がその程度だったという話です。本当に必死になって結果が出ていれば、指導教官たちは予算獲得に奔走します。
私は学部時代は極貧の、博士時代も比較的貧乏所帯の研究室にいましたが意地でプレゼンを続け、必要金額の4割は手に入っていました。こっから先は、私の力の見せどころですから必要最小限の実験、代替を行って学会発表や論文投稿に繋げました。その結果、科研費などを相当融通してもらった記憶は自分にとっての自信、そして今の立場で学生にどうすべきかの指針になっています。

>また、現在同じ学科に付き合っている人がいるのですが、その人は博士に進んで研究を続ける予定です。もし将来結婚して一緒に過ごすことになったら研究うまくいって学会で~へ行く姿とかを見て、大学院時代の悪夢をまた思い出して劣等感を感じざるを得ません。嫉妬心別れるかもしれなく怖いです。<
とありますが、なぜかわかりますか?
それは貴方が傲慢だからです。結果も出ていないのに、なぜ劣等感を感じているのですか?劣等感もなにも、劣っているんです。事実はそれしかない。それを否定しようとするから嫉妬するのでしょう。
我々研究者は他者に嫉妬してはいけません。劣等感を感じてもいけません。
つい先日、京大の大学院生が非常に興味深い論文を Nature に通しましたね。心からすごいと思います。私は NSC にはついに届きませんでした。Top Journal というレベルには出しましたが、もう自分が top author で書く事はないでしょう。
彼らは幸運もあったかもしれませんが、それだけの積み重ねや努力があって結果を出したはずです。それは尊敬に値することであり、同時に自分の実力の値をしっかりと指し示してくれるものです。それこそが無知の知を生じさせ、傲慢さを抑えてくれます。

貴方は挫折だと思っているかもしれませんが、殺された動物は生命そのものを捧げて貴方のデータになってくれたはずなのです。これを活かせなかった自分を恥じ入るならまだわかりますが、実力不足を棚に上げて他人に嫉妬したり、挫折だのなんだのと自己憐憫に浸ったり、忘れたいと言うなど恥を知れと言いたい気持ちです。

あなたに何が足りなかったのか。
これを考えることができない限りは、今後の人生に上手く活かす方法などないと思います。
逆に、それを考えることが出来れば、今回の結果は挫折ではなく糧でしかないと思いますよ。

投稿日時 - 2017-02-07 18:55:06

補足

回答ありがとうございます。
きついことというか・・回答が偉そうですね。
動物の命がもったいないのは申し訳なかったと思います。

修士も行かずいきなり博士・・?
医者ですか?だとしたら研究の負担も難易度も違いますね。
こっちの方が難しいです。
あと、傲慢なのはあなたの言い方です(笑)
めっちゃ性格悪そう。正直引くレベル。

投稿日時 - 2017-02-07 21:18:28

大学院生なら学会発表して当たり前って・・
旧帝大だからそうなんじゃない?全国的にも少ないと思うよ。

研究にも向き、不向きはありますし、テーマの当たり外れって研究室の中でも激しいですよ。
特に卒論、修論なら期間は限られてますから人によって成果も異なってきます。所詮運です。あと、新規のテーマならダメでも後の研究の財産になります。

研究で一番大変なのは実験系の確立ですね。実験によっては三年以上はかかる例もあります。ましてや動物実験なら個体差も大きいでしょうし、生き物を扱う以上一筋縄ではいきません。だから他分野と比べてすぐに結果が出ないのは当然です。

あと修士論文書いて卒業できるレベルなら査読付きなしのポスターくらい個人で行けますよ。大学側の承認が必要ですが。
それで、学生時代の学会発表経験が社会に出てから役に立つことってあるのでしょうか?せいぜいプレゼンする機会があったぐらいです。準備から練習、質問対応まで大変です。発表には責任も問われます。研究者を目指すための人脈作りなら必要ですが、その目的でないなら割に合わず疲れるだけです。なんか修学旅行感覚で考えてるかもしれませんが、遊びに行くわけじゃないです。
てか質問者さんの内容見る限り、単に「学会でぇ~~に行った」ってカッコつけたいだけでしょ?手段が目的になってるんだよね。「マーケティングやってる」とか、「起業家」って肩書きが欲しいだけの意識高い系学生(笑)の部類ですね。学生のうちだけならカッコいいか知りませんが社会人になってもそれやってたらダサいっすよ、その自慢。

あと、願わくばあなたはしばらく研究から離れたほうがいいと思います。今はおそらく研究室があって修論書いてて、ライバルかなんか知らん確執してる同期がいて・・未練が残ってるだけです。
一度研究の場から離れて何年もすれば記憶も薄れ、全く関係ない別の立場から純粋に恋人も応援できるし、大変さも分かってあげられるはずです。研究は必ずしもずっとうまくいくわけではないのですから、その時に自分の過去の話も「苦い思い出話」として語ってあげられるでしょう。
そして、もし研究の部署に配属されたならば次結果出せるように頑張ればいいのですよ。地方公務員の研究だと動物は扱わないとは思いますから、異分野で力を発揮できるかもしれません。
私は質問者さんが「挫折」を経験して良かったと思ってます。なまじ研究しただけで俺はあたしはすごいみたいな感じで天狗になったら、お役所仕事も住民や業者に対して横柄になります。修士で研究は向いてなかったからこっちの仕事で頑張ろうって、モチベーションになると思いますね。逆に研究で成果残したのに研究の部署に配属されなかった方が働いてから不満を持ちますよ。
ま、人間が成長できるのは失敗し、痛い目に遭うことで今まで気づかなかったことを見つけたときなんですね。短時間で結果を出せなかったのはやり方にも多少問題はあります。

先生に相談しやすい関係を普段から作っていましたか?
日々文献や書類をきちんと整理整頓できてましたか?サーベイやディスカッションは欠かしませんでしたか?
学会のエントリー日程までに計画を立ててきっちりやってましたか?
実験条件の確認、予備検討をきちんとやってから本実験を行ないましたか?

これって仕事を円滑に進めやすくするために普段から上司といい関係を持つ、書類をきちんと管理する、計画立てて業務をこなす、準備をしっかりすると言ったように社会人になってからも当てはまるんですよ。質問者さんにはこれらができていたでしょうか。できていなかったならばいっそう意識して仕事を取り組むべきです。これらができない若手の社会人、ほんとに多いですから。

研究で成果を上げている人は奇抜なことはせず、同じことを同じように守りながら行なっている人です。受賞した先輩たちを見てもそうでしょう。とにかく結果を追い求めずに一心不乱に研究されていたはずです。
何回ダメなことがあっても愚直にやり続けられる。そんな人がいい成果を生む研究者です。
大学院の2年間での研究は来週の発表でおしまいですが、その後の人生のほうが長いです。結果が出ない、うまく行かない、ダメだった。それをどう生かすか。「気づき」を得られただけで十分あなたにとって「価値のある財産」だと思いますよ。

投稿日時 - 2017-02-07 17:42:28

ANo.4

慰めに聞こえるだろうけど、これからの人生の良い勉強になったんだと思いますよ。私自身は理系ですが研究は大学でしかやらず、会社に入ってからは技術者。
でも、研究の過酷さは身にしみています。なんせ真実が全てなので、仮説や実験に間違いが潜んでいたら、それを前提に何年もかけてやった研究も価値はゼロ。これが文系だったりしたらきっとゼロにはならないし人によっては口でごまかしちゃうんだろうなと思います。いや、研究者だって口でごまかしたり、捏造したりする人はいますね。そりゃあ何年もやった研究が実は価値がゼロでしたなんて言うことは、なかなか人間受け入れがたい。
ひょっとして、そう言う厳しさをあなたは社会に出る前に経験したのかも知れないですよ。
大学院の時にすでに嫌な経験、失敗体験をしたのなら、これから社会に出た時のハードルが下がると思えないですか?私はそう思います。
後、的当てゲームかも知れないけど、その確率を高めたりするのは、仮説や分析に裏付けられた勘だったりしませんか。本当に単なる知的単純労働だったら価値は無いけど、そんなこと無いはずです。

後、最後に。人生長いしこれからもまだいろいろあると思います。どんなに厳しいことがあっても人間性は捨てちゃだめですよ。厳しいことがあってもいつかは取り戻せるのですが、人間性、特に人間関係は取り戻せないのです。すでに、取り戻せないものができてしまったかも知れませんが、これ以上は増やさない。できれば、取り戻す努力もしてください。
大学の知り合いとは合わないと思っているとどこでひょっこり合うかわかりません。会社で苦手でとても嫌いな人が何人かいます。一度職場が離れても、また何年か立つと同じ職場になったりします。違う会社に移ったら、前の会社で仲悪かったやつがいたなんて話もしょっちゅう聞きます。
がんばってください。

投稿日時 - 2017-02-07 16:41:16

ANo.3

劣等感は、出来なかったことを受け入れて整理をし、次の機会に類似の失敗を防ぐ体験をするまで消えないです。
短絡的には、ひとを貶めて自分以下の評価にすることで心の安定を得ようとする人がいます。ネットにとくによく。
ご質問者さんはその手の奈落にはまらなかっただけすごいです。

この後、どんな人生を歩まれるのかはしりませんが、公開のモトになっている事象を整理して、うまくやれる方法を見つけだすことです。
ふつう、修士レベルの研究なら、失敗実験も成果としては積み上がりご自身ではないかもしれませんがその後の研究室の成功、成果につながっていくものだと思います。
書かれているのを読むとかなり厳しい環境で過ごされたように思います。

私など、所属先や隣の研究室で使うさまざまな物質の効率的な合成手順を見つけることだけ請け負って、収量を上げる原理と成果だけ残して修了しました。
それを使う研究発表や論文に名前が載るので、自分は修論以外書いてませんが、その後の論文などに結構後まで名前が載ってたようです。
気楽な院生活をしてました。

真剣に悩まれているご質問者さんを尊敬します。
関係のないジャンルに進んだとしても、仕事の大きな捉え方の中では、やり方は必ず生かせる機会があります。
それを逃さない自信を持てるだけの分析と用意をしておくことではないかと思います。

あと、パートナーが博士課程に進むのなら、ライバル、比較相手としてみるのは、自身の位置づけというか評価基準を、発表などの他人に預けているからです。
自分の中で自分の生き方を決めていない、自信がないから他者との比較で落ち込むんです。
これ、私は落ち込む状況の方がまだましだと思っています。そんな比較で優越感を持つ人間関係って残念すぎません?
博士課程はかなり厳しい道だと思います。パートナーを支えるくらいの自信をご自身の中に育めると理想的だと思いませんか? 彼女との関係以上に、あなたの人生が他人との比較で浪費されずに、本来のやるべきことを見つけられるようになるかもです。

投稿日時 - 2017-02-07 16:24:36

ANo.2

できることを丁寧にやっていく。ていねいにやっていれば、結果が出ないはずがない。どこがまずいかもていねいにやっていればわかる。できないことを夢見て手元がおろそかになるのが一番まずい。

投稿日時 - 2017-02-07 15:38:24

うん。「次こそいい結果をだそう」と思いつつ,馬齢だけはとっちゃうのよ 笑。ぼくは同期のなかではビリだったけれども(じじつ最後まで売れ残った),ほかに能がないので続けるしかなかった。あなたのように,なまじ「おいらはできる」なんて思ってきちゃうと,辛いんだろね。修士終了でおらばできるなら,気が楽じゃない。ぼくはやっと定年退職でおさらばできる。

投稿日時 - 2017-02-07 15:27:45