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歴史問題の議論するとき、論点のすり替えが多いの?

歴史問題の議論する時にいつも思うんだけど、言い返せないあまりに論点のすり替えが多い気がします・・・。
特にそれは外国人達に多いし、特に反日や反日側の主観に囚われた人達、無知さゆえ日本嫌いになった人達とかに・・・。

日本側は自分の悪い所も指摘できますが、論点のすり替えることはないです。
しかし、外国側はそうではないんです。論点のすり替えが目立つ。
無知さも影響しているかもしれないが、欧米人にもその傾向がある。
中国や韓国ばかりではなくね・・・。
見たことあるんです。ネット内ですが、日本人と欧米人の討論、欧米人側の論点がすり替わるのにびっくりしましたけどね。
日本側、近代史については世界各国の出来事を表沙汰にならないような裏部分も含め隅から隅まで調べいるし、外国の捏造写真や歪曲についても調べていて知っているようでしたのでその影響と、記録資料や写真などもとに言っていますが、確か相手も歴史に詳しい人だったかと思います。
言い争いが長く続いてたし・・・。
動画やサイトのコメント欄で見たことあるのです。
日本側に対して多いぜいの味方を付けて言論封殺してるけどね。
正直、外国人って・・・とは思ったが・・・。

もう一回言いますけど、歴史問題の議論となると論点のすり替えをする外国人が多い印象です。
外国人の日本に関して歴史研究家とかもその傾向が・・・。

しかし、なぜ、だから、そういう人が多いのでしょうかと思って・・・。
他にも質問中ではありますが、どうしても知りたいかったので質問しました。


※ネット内での限定の話です。
 明治以降の戦争開始時期から終戦まで。
 日本以外だと、明治以前に戦争が始まってますし問題が多かったようですから、
 日本を含めた上で世界各国について詳しく調べている人がいたりするが、それは
 含めてないです
 日本に関係する問題が主軸な為です。

投稿日時 - 2018-12-09 11:20:07

QNo.9566106

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回答(6)

ANo.6

それは論点のすり替えではなく、あなたが無知な訳です。
だから、すり替えと感じてしまうのです。
世界の中の日本において、日本の歴史、そして、世界の歴史ですが、我々の認識は日本の価値観から学んだ知識です。
だから、日本人でしか通用しないものです。
各国も同じでその国しか通用しないものが多いのです。
それぞれの国の者がその国の事情を主張し議論しても、結局は水掛け論なってしまい纏めることは出来ません。
日本における歴史認識は世界では常識ですか?
アメリカのある州の学校では「アメリカは戦いで日本を2度負かせた」と教えています。
各国と日本とでは、視点が違うのです。
また、関連しないのかも知れませんが、国連本部や関連施設などでは、日本の地位は低いですよ。
日本人の意見よりも中国人の意見の方が通用します。
日本人の意見は弱いのです。
国連では日本と言う国は敵国だから、弱いと言われてますが、今はどの国も日本を敵だと思っている国など存在しません。
あの中国も韓国も日本を敵だと思っていません。
それぞれの政府や一般国民では、あくまでも、国連内の話です。
国連ほど世界各国が集結する組織は他にありませんので国連を持ち出しましたが、今や国連は世界の中でも力は無いに等しい。そして、役に立ちません。

「根拠」「根拠」と言いますが、本当にその「根拠」が正しければ、相手も納得し黙るはずです。
黙ってないで議論が継続することは、その「根拠」は、意味を成していないと言うことです。
それは「根拠」であっても「根拠」ではありません。単なる自己満足の資料としか相手は判断していないのです。

ところで、日本人の歴史認識は本当に正しいのかな?
世界でも独特かも知れないよ!

投稿日時 - 2018-12-10 15:56:09

ANo.5

日本の国会での与野党の攻防などを見ても、「論点のすり替え」というのは議論の有効な戦術の一つであることがわかります。相手に有利な戦場ではなく、自分に有利な戦場に相手を引き込んで戦う方が勝ち目があるからです。

もちろん第三者から見ると「とんでも質問」もあれば「とんでも答弁」もありますが…。ただし(ここが重要ですが)当事者は与党も野党も「はい、論点をすり替えて答弁(質問)しました」とは、絶対に認めないでしょう。互いに相手側について「論点のすり替えだ」と批判するだけです。

実はこの点が、歴史問題を考える上でも大切です。御質問にあるように、日本人から見れば「外国人が論点をすり替えている」ように感じられる場合、外国人には逆に「日本人が論点をすり替えている」と見えるかもしれないからです。

この背景には、歴史において個々の史実についての理解だけでなく、互いに当然だと考えている歴史や対外関係についての大前提が異なることがあります。

根本的な問題では「歴史でもっとも重要なことは何か」という一般の認識が、例えば韓国と日本とでは大きく異なります。日本では歴史で大事にすべきことは「客観的な史料の裏付けを重視して、史実(歴史的事実)を解明することそのもの」であり、(右であれ左であれ)歴史を何らかの政治的運動に利用しようとする動きには、多くの日本人は相当の違和感を持ちます。

一方韓国では、「史実の解明を通じて正義を明かにし、民族や国家の発展に役立てること」がもっとも重要視されています。たとえば韓国では毎年10月3日は檀君神話に基づく「開天節」の祝日です。ことしもイ首相が出席する式典が開かれ、同首相は、南北は同じ建国の祖である檀君の子孫だとした上で、「檀君の教えに従って平和と繁栄を実現する日が早く来ることを希望する」と述べました。

もっとも日本でも2月11日は建国神話に基づく「建国記念の日」ですし、天孫降臨に始まる戦前の歴史教育は、この韓国の発想と同様でしたから、韓国の考え方が特異なものだとすることはできません。ただし少なくとも現在の日本では、2月11日に政府主催の建国記念祝典が開催されて総理大臣が挨拶したり、建国の神話がそのまま歴史的事実であるかのように学校で教えたりはしません。両国には明らかな温度差があります。

二つの歴史についての考え方はどちらか一方が正しくて他方が誤りというものではないでしょう。2000年以上昔の「史記」の時代からから歴史について、この両方の考え方があったからです。よく「歴史はかがみ(鏡・鑑)である」と言われますが、この「かがみ」も世界をありままに写す「鏡」でもあれば、規範を示す「鑑」でもあるというように、二重の意味で使われています。

もちろん現代の歴史家のほとんどは前者の「客観的に史実を解明すること」を重視していると信じますが、政治家を含む一般の人々の心の奥底にある後者の意識が一朝一夕に消滅することはないでしょう。

日本と諸外国、とりわけ韓国や中国との歴史問題についての議論が今ひとつかみ合わない背景には、個々の史実の理解の違い以前に、この二面性を双方が意識していないことがあるように思えます。さらにもう一つあげるとすれば、過去の史実について評価する際の基準を「その当時の基準」にするか「現在の基準」にするかという大問題があり、しばしば争いの元になっています。

こうしたことを考え合わせると、歴史問題に関わる外国との議論は「かみ合わないのがむしろ常態であり、なぜかみ合わないのか(お互いが議論のすり替えだと感じるのか)という理由を双方が認識する方が有益である」と回答者は考えます。これは「正義」対「不正義」の争いではなく、「正義」対「(もう一つの別の)正義」の争いであり、勝ち負けを判定して終わることができるディベートのようなものでもないからです。

なお歴史問題に限らずインターネット上では、極端な意見や、やたらに勇ましい議論が幅をきかせていて、実証的な分析やバランスのとれた堅実な議論が目立たない傾向にあることにも、十分注意する必要があります。インターネットは、世界を写し出す鏡ですが、決してありのままに写す広い平面鏡ではなく、あちこちに欠落や凹凸がある鏡なのです。

投稿日時 - 2018-12-10 11:49:48

ANo.4

現代の局地戦においても
真実はその場にいた当事者しか
わからない
最近は動画が残る場合もありますが
それでも悪意のもとに偽造も可能ですし
写真の偽造はもっと簡単です。
戦闘なので元々悪意はあるのです。

明治維新以降の過去の大戦ともなれば
記録も多くは無いし存命の方も
少ない今
個々に言い伝えられている体験談は
どこまで本当かわかりません
でも、深く突っ込まれると
外国人側も真実かどうかは
証明が出来ないので、それ以上
話をしても仕方無いので論点を
ずらすのだと思います。
逆に言えば、相手が論点をずらしたら
真実かどうかわからない
フィクションだという事が証明
出来たと考えていいでしょう。

当時の日本人は、外国人の想像を
遥かに超えて、高潔でありました。
外国人が外国人の価値観で作り上げた
フィクションは、日本人の清らかさを
分かっていれば無理が生じます。
自らを犠牲にして若くして戦場に
散って行った先祖がどれほど立派だったか
現代の日本人だけはよく理解し信じて上げ
なければいけません。
外国人が作り出すフィクションを
ウソだと見極めてくれる事を願います。

反日国の様子も
インターネットの普及により
以前より、観察できるように
なってきました。
そしてその適当さ、いい加減さ
自力で何かする前に、他人や他国
に責任転換する姿がひどい事も
周知の事実かと思います。
日本人と比べたら、民度が遥かに
落ちます。画自賛と思わないでください。
それは、ずっと昔からそうでした

反日国は逃げ、
かわりに日本が命をかけて
アジアの開放のために戦い
共産主義と戦ったのです。

投稿日時 - 2018-12-09 18:57:49

ANo.3

論理のすり替えは、詭弁術の基本テクニックですからね。議論に負けそうだなと感じたら、相手に有利な土俵で戦わずに、議論のテーマを変えてしまうのです。
日本人は詭弁術を非常に蔑みますが、外国では「議論テクニックのひとつ」と認識されています。ハリウッド映画の法廷ドラマでも、論理をすり替えてピンチを脱出するなんてよくありますよね。

歴史を客観的に判断するなんて、ほぼ不可能なんですよ。例えば南京虐殺事件とされる出来事で、何十万人もの人々が殺されたのかというと私はそれはウソだと思います。でも、あのときの南京で正確な人数が何人だったかは別にして、無差別虐殺事件があったのかというとそれはあったと断定できると思います。それが100人なのか、1000人なのか、それとももっと多いのかは分かりません。でも無差別虐殺が50人までならセーフだとかそういう話ではないですよね。
で、じゃあなぜそんなことが起きたのかというと理由は主に二つあって、ひとつは蒋介石軍の兵士が軍服を脱いで民間人に身をやつして脱出し、中にはゲリラ兵となって日本兵を襲撃することがあったからです。軍人が軍服を脱いで民間人のフリをして逃げるのは戦時法で禁止されているのですが、まあ中国人なんでね。で、日本兵からするとみんなAK銃を持っているアフガニスタン人みたいなもので、誰が民間人で誰がゲリラ兵だか分からなくなるわけです。異国の地でそれはものすごいストレスですよね。だから怪しい連中を見つけると気が立っていますから怪しいやつらは片っ端からぶっ殺せ、ついでに日本軍に盾つくとどうなるか見せしめにしてやれとはなってしまいます。
あともうひとつ。南京虐殺事件から遡ること10年くらい前に、南京と青島で、在留日本人が中国人暴徒の襲撃を受けて虐殺されるという事件があったのです。女性の膣に杭が刺さって殺されていたというから凄まじいです。それに対する日本人側の怒りというのもあったのです。

でもさ、こういうのは「どっちが正しいのか」っていう議論は無意味なんですよ。学ぶことは「戦争は人間をそのように怖ろしい狂気に変える」ということと「そういう戦争はしてはいけない」ということだけです。

何十年前だったか、現役のアメリカ海軍の提督が、自らの意思で長崎の原爆に対して慰霊の献花をしたことがありました。それはいちアメリカ人としての良心と哀悼の意と、公けでは口にできないものの非人道的兵器を使ったことに対する謝罪の気持ちもあったと思います。戦後初のことであり、非常に異例のことでもありました。
でも被爆者の人たちの気持ちは違います。提督が献花をして去ると、ふざけるなといってその花輪を足で踏みつけて壊したのです。この被爆者の人たちを、一体誰が批判できるでしょうか。彼らは原爆でかけがえのない人を、財産を、人生を奪われたのです。ごめんなさいといわれて許せるようなことではないですよね。

歴史に対する議論は勝つことが目的ではありません。それは戦争を招くだけです。歴史に対する議論はお互いの理解を深めるためにするものです。そこをはき違えませんよう。

投稿日時 - 2018-12-09 17:46:40

ANo.2

 「外国人は論理のすり替えをするが、日本人は自分の悪い所も指摘でき論点をすり替えることがない」などと、みなさん脳内のお花畑で議論をなさっているからです。

投稿日時 - 2018-12-09 13:32:15

ANo.1

歴史が真実を語れるものと過信してはいけないと思います。もし、自分が知っている歴史が正しいと宣言する人がいたとしたらその時点でその人は間違っていると断言しても良いと思います。

歴史に関してはいろいろな格言がありますが、歴史そのものに肯定的なものは多くないです。

以下http://www.oyobi.com/maxim01/12_04.html から引用。

どの時代の歴史を扱う場合でも、感情をまじえず、偏見を持たないことは、歴史家にとってつねに不可能なことだと思う。
トインビー 「同時代史の研究」

歴史とは、合意のうえに成り立つつくり話以外のなにものであろうか。
ナポレオン 「語録」

歴史はいつでも敗者に背を向けて、勝者を正しいとするものだということを忘れてはならない。
ツヴァイク 「マゼラン」

歴史は単なるゴシップにすぎない。
ワイルド 「ウィンダミア夫人の扇」

日本の歴史も日本人による日本の歴史上の事実を解釈してそれを国が検定したものが学校で教えられているし、日本人の中でも違う解釈をする学者がたくさんいる中で、海外から見て客観的だと胸を張って言うことは到底できないと思います。韓国の高校のある歴史教科書の日本語訳を読んだことがありますが、ネトウヨの人たちが言う様な捏造や嘘が書かれているとは思いませんでした。ただ、日本人が着目する事実を書いていなかったり、表現が反日的だったりして、日本人からすると正当には見えません。そのことを持って同じ教科書を読んだ日本人の中には捏造だとか嘘だとか言う人もいました。歴史で恐ろしいところは、同じ事実を眺めていても人によってある一つの事実を重要視するかしないかだけで、解釈が180度変わることがあること。更に歴史研究によって事実だと思われていたことが実は間違いであったと言うことはたくさんあります。

歴史を外交や政治論争に持ち込んだ瞬間解決不能な議論になることは明らかだと思います。日本の歴史解釈を海外の人に正しいものと理解してもらって問題解決を図ろうとするのはもともと不可能なのだと思います。

投稿日時 - 2018-12-09 13:22:41