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解決済みの質問

「藩」とは?「家中」とは?

幕末期の武士階級の日記や書簡をみると「藩」という字が溢れています。
「本藩」「弊藩」「一藩」「他藩」「尊藩」「諸藩」「列藩」のように自領にも他領にも使用されています。
藩の呼称は,江戸幕府の大名領に対する公称ではないとされていますが、あたかも公称のごとく多用されていると思います。
当時は、藩ではなく「家中」と呼んでいたと聞いたこともありますが、「家中」は、自領内向けの用語で、例えば「御家中の面々へ」というように、使う場合が多いと思います。

質問です。
幕末期、武士階級では「藩」という概念が広く行き渡っていたと思っているのですが、このような認識でよいでしょうか。
「書状」や「日記」をキーワードにちょっとググッタだけの感触ですから自信ありません。
そこで、他の大名領を「藩」以外の用語、例えば「家中」などと呼んだ例があれば教えてください。
なお、幕末とは、嘉永六 (1853)年ペリー来航後くらいとします。

よろしくお願いします。

投稿日時 - 2019-11-16 19:54:53

QNo.9679688

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

そうですね。
「藩」は、幕末までは非常に例が少なく、幕末以降使われるようになり、明治に入って正式に使われるようになったらしいです。

また、「藩」は土地に注目した呼び方ですが、「家中」は大名+家臣団の呼び方なので、多少意味が違います。
「仙台藩」⇔「伊達家中」。

投稿日時 - 2019-11-16 21:13:08

お礼

ご回答ありがとうございます。
「家中」は大名+家臣団を含むという呼び方なのですね。
その名残で「藩中」という用語が使われているのですね。
「水野越前守殿藩中塩谷幸蔵」「出羽窪田佐竹殿藩中之医者」のように、わざわざ「藩中」にしている例もあります。

投稿日時 - 2019-11-17 19:09:38

ANo.1

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回答(2)

ANo.2

ある説というか、ある見方というか。
藩は天皇・朝廷に対する使用であり、藩兵という場合は尊王思想による朝廷の兵という意味あいがあったと聞きました。
また、江戸時代前期は「大名は鉢植え」と言われたように転封が多く、広島藩家臣・川越藩家臣では通じません。
例えばですが、私、広島から川越に移り更に高遠から松山へ移った某です、とは煩雑すぎます。
越中前田家のだれそれという方が分かりやすい。
江戸の後期になると(この辺の理由は調べると面白いのですが)、転封が激減し、何々家と言えば領地が分かるようになる。
そこに、燻っていた尊王思想が重なる。
すると、(現在でもそうですが)新しい言い方を好む(幕藩体制を嫌い・尊王に被れた)者達が、かっこ良い言い方として私は何々藩の誰々などと言う。
とりあえず、何々藩は移動しない。薩摩藩が秋田には行かない。
島津家は秋田に行くこともあるということでしょう。
ある見方としてです。
反論はご容赦願います。

投稿日時 - 2019-11-18 18:10:58

お礼

ご回答ありがとうございます。
「ある見方」は大変参考になりました。
新しい言い方を好む者達が、かっこ良い言い方として“藩の誰々”などと言い始めたのが瞬く間に広がったという感はありますね。

投稿日時 - 2019-11-19 19:17:21