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本当に仏様の供養になっているのだろうか?

こんにちは

質問
お坊さんは、仏様にお線香やお花、生前好きだった食べ物を供えると、仏様の供養になると言いますよね。
でも、本当でしょうか?
仏様に直接聞いて答えたわけでもないのだから、それで本当に供養になっているかわからないじゃないですか。
お坊さんは属している宗派の教えに従って、そう言っているだけですよね。
実際に仏様の供養になっているかどうかなんて、生きているモノには誰にもわかりませんよね。
結局供養というのは、仏様のためになにがしかしてあげることによって、生者の心を楽にするためにしているのであって、仏様のためではなく、生者のためにしている事なんですよね。

投稿日時 - 2020-09-17 06:50:20

QNo.9800446

暇なときに回答ください

質問者が選んだベストアンサー

あなたが書いている内容は、日本の葬式仏教の底の浅い教えですよね。
それに葬儀会社も乗っかって、死者を食い物にしている訳です。

お釈迦様があの世があるとかないとか全然言ったことはないというのが、原始仏教での解釈です。
お釈迦様が取り組んだのは、現世での悟りへの修業です。

それが中国に渡って、儒教や道教をとり入れて中国式仏教になり、朝鮮半島を経て日本に来た時は、悟りを得ることではなく、国家鎮護や天皇・貴族のための救済宗教になりました。
救済宗教の部分が鎌倉時代になると、庶民をいかに救うのかという鎌倉仏教を生み出しました。
庶民を救うという部分が、江戸時代にはキリシタン弾圧との兼ね合いで寺請制度や宗門人別帳が上から強制され、葬式仏教の土台が作られたのです。
そうなると、仏教の教えも変質してきます。

供養などという儒教的な思考方法は、仏教のもともとの考えにはありません。あの世に行った死者をこの世の人間がどうにかできると考えることが異常です。そんな魔法などありません。

何回忌というものも、神道のやり方を拝借したものだと仏教研究家のひろさちよ氏は書いています。
死者を思い出すというのは仏教的な考えではありません。ごく普通の自然なこころです。

地獄・極楽などというあの世の階級制度なんて、どうでもよいことではないでしょうか。

生きている者の世界と死者の世界が隣り合わせだという考えはアイヌ文化の精神性の世界と同じものです。原日本人もそのような感覚があったと思います。
僕はそちらを支持します。
浄土真宗の開祖である親鸞の信者ですが、どちらかというと古代日本人の感性を大事にしたい人間です。

そういう意味では、今の葬式仏教は批判の対象です。

投稿日時 - 2020-09-20 15:12:23

お礼

今の日本の葬式仏教って、異質な存在なんですね。
私がこれまでしてきた供養って、意味があったんでしょうかね・・・

投稿日時 - 2020-09-21 06:44:18

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回答(3)

ANo.2

KGS

もちろん、そうです。

死者を弔うのも供養するのも、生者のやすらぎのため。

言葉は悪いですが、自己満足に過ぎません。

投稿日時 - 2020-09-17 13:12:55

お礼

自己満足ですか・・・
確かに言われてみればそうですね。

投稿日時 - 2020-09-21 06:38:44

ANo.1

そうです。
供養というのは生者が故人を忘れないために行うものです。

投稿日時 - 2020-09-17 07:45:33

お礼

やっぱりそうなんですね。
故人は自分の存在を忘れてほしくないでしょうからね・・・

投稿日時 - 2020-09-21 06:38:05